Interview - 三船 雅彦

Profile - 三船 雅彦

世界最高峰のクラシックレース「ツール・ド・フランドル」日本人初出場など、本場ヨーロッパのロードレースで活躍。国内チーム移籍後も香港サイクルクラシック優勝など数々の輝かしい成績を上げてきた。現在はブルベの第一人者として活躍している。

そして、その時はやってきました。何って? そう、日焼けの季節です。

2016年06月15日

自分たちの世代って、多分日焼けに関しては「焼いてナンボ」みたいな、まるで黒ければすべてOKみたいな少年時代を過ごしてきたのではないでしょうか?もちろん私も例外ではなく、白いのは歯だけで顔も体も黒いことが勉強できるよりも学校では重要でした。そんな松崎しげるもビックリな日焼け人生を送ってきたある日、海外でプロになって日焼けしていると誰も日本人には見てくれず、ネタで「ワタシハ、コロンビアノ、ロペスデス」と言ったら、誰も信じて疑いませんでした。って、こんな黒いだけでコテコテの日本人はおらんやろ!と思っていたのですが、自分が思う以上にどうやら日本人に見られなかったようです・・・。
 

2002年、いつものようにシーズン開幕までスペインの地中海沿岸部に滞在し走り込み開始。地中海は2月だと既に25℃ほどあり、まるで突き刺さるような紫外線を体いっぱいに突き刺して、汗まみれで連日数時間トレーニングに励んでいました。合宿を終えて当時住んでいたベルギーに戻ってきて、体を見るとまだらに。医者からもあまり焼きすぎるのはよくない、そんなに焼くと皮膚がんになるよと言われ、さすがに怖くなって普段のトレーニングでは長袖タイツ着用。当時はそれほどすぐれた日焼け止めクリームもなく、とにかく「焼かない=着衣」という考えしかありませんでした。
 

そのうち徐々にエスカレートし、真夏でも炎天下を走らないので冬用ウェアで。間違いなく国内実業団上位選手の中で、一番白かったはずです(当社比)引退してからは焼いたり焼かなかったり。相変わらず焼き始めは「やってもうたぁ~」ってほど赤くなるときもありますが。ただ、たまにベルギーでお医者さんに言われた「皮膚がんになるよ」と言われた言葉を思い出し、日焼け止めクリームや長袖着用してみたりとしていました。

そんな時にWAKO’Sブランドでお馴染みの和光ケミカルプロデュースのアグレッシブデザインを使い始めたんですが、紫外線を受けていないのか、走行後の肌のヒリヒリ感がないですね。防水?なのか雨が降っても全然落ちない。夏場は突然雨に降られたりしますが、その後にまた炎天下になった時でも効果が継続しているのがいいですね。落ちにくいので専用クレンジングが必要なんですが、この季節は朝の通勤にも使うので事務所にクレンジングを置いています。

※個人の感想です

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